引っ越し?夜逃げ?
大家と賃貸契約を済ませ鍵を受け取ると、喫茶店でバケツと雑巾を貸してもらった。
部屋を軽く掃除するためだ(よくそんなことできるな、母よ)
水周りを軽くふき掃除しながら思った。
(ここが次の住み処(すみか)になるのかー)
ところで引っ越しをせねばならんのだが、どうするのだろう?
とか思っていたら、後日母がどこからか車を借りて(自家用車はとうに手放してしまっていた)きた。
母「車に積めるものだけ積んでいくよー」
僕「えー、まじでー」
母「早くしな、ウロウロしてたら見つかるでしょ」
細心の注意を払い、車に荷物(当然だが大型家具は積めない)を積み込み、何往復もして引っ越しを行なう。
車は2〜3日借りていたのだろうか?
テレビ、ステレオ(死語w)、学用品、服、食器類、布団、カセット、レコード(死語?w)、本やアルバムの類い、生活に必要なものは運び出せた。
残念なことに、ピアノ(姉の部屋にあった)や食器棚、テーブル、ソファーセット、学習机、じゅうたんなど、車に入らないものは置いていかざるを得なかった。
だが、公団との契約はまだ解除になっていない(つまり、鍵を持っていた)ので、まだちまちま通うことになるのだが。
これって「引っ越し」じゃなくて「夜逃げ」じゃないのかな…
借金 生活苦
部屋を決めた理由は
部屋探しは数週間に及んだが、さほど難航したわけではなかった。
(それまで見て回った物件は、エントランスが汚いとか道が暗過ぎるとか、家賃が高いとかいろいろあって内覧までしようという気にはなかなかなれなかった)
情報誌で目星を付けていた物件があり、母とふたり土曜日の夕方にそこへ向かった。
大きな通りに面しており(治安の関係でココ大事)、1階部分は喫茶店(夜は酒類も提供しているようだが)が入っている。
建物はそこそこ古いが、まあ許容範囲。
くだんの喫茶店にて空き部屋の鍵を管理しているそうなので、訪ねると、話しが既に伝わっていたようで、鍵を貸してくれた。
玄関入ると、すぐにトイレと風呂(古くさいタイルだ。でもシャワーは付いてる)が両脇にある構造。
その奥に、ダイニングキッチンか。ちょっと狭いけど。
ココは…ガスストーブだね。(あ、窓が西向きだ)
で…お、階段が。これは「メゾネット」?「中二階」?
階段を上ると、6畳間くらいの部屋が2つ。
4人で暮らすにはギリギリかな。
どうだろうね、母よ。
「西向き」と「ガスストーブ」がネックだね。
とか話ししてると、なんか2人とも下半身に違和感をもよおしてきた。
(こ、これは…神が(ウ○コ💩)降りて来たのか、なぜ今💧)
平成末期〜令和の賃貸事情では考えられないことでしょうが、昭和の賃貸事情ってめっちゃアバウトなんで、トイレなんかも内覧時に使い放題みたいなところがあって(ホントはダメなんだろうけど)、僕も母もここで用を足してしまいました(すみません…)
母「なんか、ふたりともウ○コしたくなったってことは、ここに決めろってことかい」
僕「う〜ん、どうなんだろ。まあいんじゃない」
というわけで、神(ウ○コ💩)が降臨してきた、という理由で、ここのアパート(メゾネット?中二階?)に決めちゃいました。
後日、1階の喫茶店にて大家と直接契約を行なったのであった。
(ココアか何かをご馳走になった記憶があります)
(ところで、敷金とか前家賃とかどうやって工面したんだろう?)
借金 生活苦
部屋探しを始める
どういった経緯で、この話になったのか。
また引っ越しをすることになった。
一件家から引っ越して来て住んでいた公団(現・UR都市機構)の家賃を滞納していたのだろうか。
電気やガスもちょくちょく止められていた記憶がある。
それよりなにより、債権者の執拗な訪問が一番の悩みだったに違いない。
日曜日(当時土曜日は休みではなかった。昭和です…)に母とふたり、賃貸住宅情報を見ながら、徒歩であちこち見に行った。
入居人は、母、姉、僕と弟の4人。
実際に見てみると、安くて良い物件などそうそう見つからない。
うーん、困ったねぇ。
雪が降る前に決めちゃわないとね…。
昭和時代はネットなんてないから、不動産か情報誌、または貼り紙が頼りなのよ。
借金 生活苦
弟が痩せこけてきた
食い物がない。
冷蔵庫を開けても、何もない。バターと梅干しくらいしか、入ってない。
債権者にバレるので、電気も点けられない(もしかすると止められていたのかも)
困ったな。
そうだ、叔母の家に行こう。弟が厄介になっているんだ。
というワケで、(もう夜だが)叔母宅へ。
弟がリビングに布団を敷いて、シャツ(インナー)姿で潜り込んでいてビックリ。
叔母「○○○(弟の愛称)の寝床、ここなのよー(笑)」
僕「そ、そうなんだ💧(他に部屋なかったっけ?💧)、(弟に)ご飯食べたの?」
弟「…食べたよ(なんか覇気がない。心なしか痩せこけてきてる気が)」
婆ちゃん「○○ちゃん(僕の愛称)、ちゃんとご飯食べてるの?」
僕「食べてないのさー(笑)、なんか無いかなと思って来たのよ。お婆ちゃん食材なんか無い?」
婆ちゃん「なんかあったか…チーズとかハムとかタマゴとか?」
僕「あー、OK、OK、何でもちょうだい。持って帰って弁当に使える(笑)」
婆ちゃん「○○ちゃんは、自分で何でもできるからねぇ」
(ん、褒められてもなぁ…)
後から母に聞いた話。
そもそもは、叔母の方から「弟をウチ(叔母宅)に預けなさい」と提案したんだそうだ。
弟は乗り気ではなかったが、状況が状況だし仕方がないので従った。
しかし、どうも待遇がよろしくない。
・リビングに布団だし、朝バタバタして寝た気がしない。
・食事のときには「たくさん食べなさいよ」と言う割には、おかわりすると(三杯目くらいから←弟は大食漢)嫌な顔をされる。(※居候なんだから遠慮しろという話もあるがなw)
・持たされる弁当は、女子中学生が持つような弁当箱よりさらに小さいタッパーにご飯とおかずを詰めたもの。
布団で寝られて飯も食えるんだからありがたいことではあるが、弟ににはなんの罪もない。
両親が抱えた借金のとばっちりが、おそらく叔母や婆ちゃんのところにも行っていたのだろう。
その八つ当たりというわけでもないだろうが、弟(叔母にしてみれば甥、婆ちゃんにしてみれば孫だ)の扱いがちょっと…。
弟の痩せっぷりが酷いので、叔母宅から1〜2ヶ月で引き上げさせてしまったと記憶している。
借金 生活苦
どうやら教祖が学校に来たっぽい
秋の某日
また担任に声を掛けられた。
担任「おい、ポンコ@2。さっきお前訪ねて来た女の人いたけどな、名前名乗らなかったから追い返しといたぞ。」
僕「うぇ?!あ、はい。」
話しをまとめると。
・先日、叔母を名乗る人物が訪ねて来たが、その人物ではない。
・僕の情報について
学年を知っているが組は知らない。
姓は知っているが名を知らない。
・いかにも怪しい感じだったので、体育教師総動員で追い返した(お手数かけます💧)
う〜〜〜〜ん…
教祖かなぁ…、学校まで来るかなぁ…?
困るんですよねぇ学校は…。
その日、下校時に背後が気になって仕方がなかったのは言うまでもない。
借金 生活苦
信者でもないのに聖教新聞が投函され始めた
いつの日からだろう。
(たぶん、事務局の人と登校した後かな)
「聖教新聞」
これが、自宅の新聞受けに投函されるようになっていた。
(ちなみに当時ウチは貧乏が故、新聞すら取っていない)
どうも、婆ちゃんのしわざではなさそうだ。(学○員ではなかったと思う)
じゃあ、誰のしわざ?
母が入信した?いやいや、そんなバカな。
思想に惑わされない母に限って、それは無い。
投函されていた新聞はすぐにポイしていたが、ほどなくして容疑者(?)は特定された。
母「ああ、アレねぇ。(教祖)が取れってうるさいし、なんかお金は払ってくれるって言うし。あんまこっちも強いこと言えないしねー。」
僕「ハァぁ?(゚A゚ ).」
教祖のしわざかいっっ!(金貸し&学○員だったのかいっ!)
ま、金かからないなら別にいいけどさ。
・
・
・
・
・
と思いきや!
後日、チャイムが鳴りまして。
すわ(古いな)(債権者か!)と、玄関の覗き穴をそーっと見ると、なんか集金みたいな人が立っている、
おそるおそる鍵を開けて、「…はい?」と出てみると。
「聖教新聞の集金でーす」
金取るのかよ!
僕「いや、すみません。ウチお金ないんですけど…、それにこれ、○○○さん(教祖の名前)がお金払ってくれてるって聞いてますけど違うんですか?」
集金の人「え、いやその辺のことは知らないんで。うーん、困ったなー、じゃあちょっと今日は帰りますねー」
すまんが、もう来ないでくれ。
その後、集金が来たかどうか記憶にない。
借金 生活苦
叔母を名乗る人物が学校に来る
またまた学校でのお話
休み時間に担任が声を掛けてきた。
担任「ポンコ@2、あのな。今さっき、お前の”おば”と称する女の人が来てたんだけどな。ホントに叔母さんかどうかもわからないし、お前んちの事情もあるし、帰ってもらったぞ。」
僕「え、あ、そうなんですか。わかりました。(ホントに叔母だったらどうしよう…💧)」
でも、叔母も婆ちゃんも、家知らない訳じゃないしなぁ。
学校なんて来るかなー。
学年はともかく、組まで知ってたかなー。
この件は、30年以上経った今でも謎です。
借金 生活苦